僕が自己啓発セミナーにはまった根本の理由、それは吃音症だったからだ。

小学生の頃、僕は時折言葉に詰まることがあった。初めはそれをあまり気にしていなかったが、小学6年生の頃に同級生に真似され、笑われる経験をした。その結果、中学・高校と、思春期を通じて自分の吃音にコンプレックスを感じるようになった。

吃音症は、隠そうとするほど、また、それを強く意識するほど症状が悪化する。実は、吃音症を「治す」という考え方がそもそも間違っている。吃音を気にしないこと、吃音である自分を受け入れることこそが大切なのだ。

吃音症の人々の中には、自分の言葉に詰まることを理由に、自己表現を避け、自分を抑圧する人が多い。しかし、問題は吃音そのものではなく、吃音を言い訳に生きることにある。自己憐憫に浸ることが、意識的・無意識的に目的となってしまっているのだ。

僕は10代から20代前半にかけて、この吃音と日々闘っていた。しかし、多くの書籍やセミナーを通じて、自分の内面や心理に目を向けるようになった。

吃音症だけではなく、鬱や他の心の病も同様の原理に基づいていると感じる。多くの人が自分の悩みを言い訳に、行動を避けてしまう。実は、その行動を避けることこそが真の問題なのだ。

吃音の存在が僕にとっての成長のきっかけであり、自分を深く知る機会を提供してくれたと言える。もしかしたら、吃音という状況が僕をより深い自己理解へと導いてくれたのかもしれない。このような視点から見ると、吃音症というのは、僕が成長するための「道具」として選ばれたのかもしれない。人生の中の困難や悩みには、意味や目的があるのだ。

高校3年の時、初めての自己啓発セミナー: ブリージングセラピー

私が初めて自己啓発に興味を持ったのは、ヨガや呼吸法からでした。高校時代に「吃音症は治る」という本を手に取ったのがきっかけで、その本の中で、吃音症の人は正しく呼吸ができていないと記述されていました。つまり、呼吸が無意識に止まることで言葉が滑らかに出てこない、というのがその理由とされていました。

この情報を元に、私は呼吸法やヨガに関心を持ち始めました。特に、呼吸法は健康のためにも良いとされ、さまざまな武道や宗教、健康法で取り入れられています。そのため、私も独自に呼吸の練習を実践しました。さらに、催眠法の自立訓練も興味を持ち、それらの中での複式呼吸の重要性にも触れました。私にとって、呼吸には何らかのヒントが隠されているように思えました。

そんな中、当時私が愛読していた「合気道マガジン」という雑誌に、ブリージングセラピーのセミナーの情報を見つけました。高校生の私には、参加費用は少々高かったものの、強い興味を感じて、持っていた限られたお金を使ってそのセミナーに参加することを決意しました。

ブリージングセラピー初体験

このブリージングセラピーは、和尚というインドの瞑想家グループが主催している。和尚は1980年代にアメリカで大事件を起こしたグループと関連があると言われ、当時はカルトなどと呼ばれていた。だが、現在の和尚の瞑想グループに参加する限り、勧誘やお布施、グルと呼ばれる人もいない。私には、純粋に瞑想や自己探求の場として健全な団体だと感じられた。

セラピー当日、私は詳しい事情を知らずに参加した。

セラピーはシンプルだった。最初は仰向けになり、膝を立てて横になる。そして10分間ゆっくりと複式呼吸を行い、その後徐々に呼吸の速度を上げる。セラピストは『息を吸って、大きく吐いて』と指示し、その呼吸に合わせて喜太郎のような優しい音楽が流れていた。しかし、次第に呼吸の速度は上がり、それに伴い呼吸が苦しくなった。体がしびれる感覚にも驚いた。

30分経過すると、周囲では感情の爆発が始まった。泣き叫ぶ人、大声で叫ぶ人、突然何かを話し始める人など、多くの参加者が強い感情を表現していた。このセラピーでは、過去の出来事や抑圧された感情を発散することが目的で、中には前世の体験をすると言う人もいた。

1時間後、セラピーのピークは過ぎ、静寂が訪れた。クラシックのような穏やかな音楽が流れ、セラピストは『自分に起きていることを受け入れて』、『自分の感情に気づいて』と参加者を穏やかに誘導していた。その言葉と音楽の組み合わせは心地よく、呼吸も徐々に落ち着いてきた。セラピーは約2時間後に終了した。

その後のシェアの時間で、参加者は体験や感じたことを共有した。このようなシェアの時間は、他のセミナーでもよく取り入れられており、体験や感情を分かち合う重要な時間となっている。

ブリージングセラピー後、和尚への興味が深まる

ブリージングセラピーの体験後、心の中には爽快感が広がっていた。特定の感情が強く表れることはなかったものの、日常とは異なる新しい体験をすることで、私の中での価値観や見方が広がったように感じた。

その体験を通して、特に「和尚」という瞑想の方法に関心を持つようになった。和尚の瞑想はゲシュタルト療法やトランスパーソナル心理学などの心理療法のベースとなっており、これらの療法や心理学の領域に、私は深い興味を抱くようになった。

和尚の瞑想やその背景にある心理療法を学ぶことで、人の心の奥深さや、自己の内面との向き合い方について、新しい視点や知識を得ることができた。それは私の人生において、新しい扉を開くこととなったのである。