アートセラピー1日目
アートセラピーと言うと、何を連想しますか?
絵画や彫刻、創作行為で心を癒すのがアートセラピーの一部ですが、実はもっと奥が深いのです。
正直、私もこのセラピーに参加するまで、詳しい知識は持っていませんでした。
「絵を描いたり、図工や工作で心が癒されるのか、それが自分の成長につながるのなら、簡単な工作でも良いのでは?」と、半信半疑での受講でした。
セミナー参加者は、僕を含めて7人ほど
当日の朝、会場に集まったセミナーの参加者は7人ほど。美容師の女の子、郵便配達員、元小学校の教師、30代女性、40代女性、大学4年生、そしてヒーリングを行う女性のカップルがいた。緊張しながら、僕は会場に向かった。到着すると、ヒーリング系の音楽が流れており、お香も焚かれていた。癒しの雰囲気が漂っていた。
セミナーをリードするKさんが挨拶を始めた。彼女は当時、おそらく40歳後半だったと思う。少し気品のある優雅な立ち振る舞いで、精神世界の女性特有のオーラを感じさせた。神聖な雰囲気を持つ女性だった。彼女はゆっくりと丁寧な口調で挨拶をし、参加者全員でセミナーを通じて得たいことをシェアする時間となった。
正直、自分が何を話したのかはよく覚えていない。ただ、当時彼女がいなかったので、「パートナーが欲しい」と正直に話したと思う。その後、アイコンタクトの時間に移った。
アイコンタクトはとても大切
簡単な自己紹介や希望をシェアした後、アイコンタクトのセッションが始まった。このセッションは、参加者同士が意識的に目を合わせるものである。目は心の窓と言われる。目と目を合わせると心が通じる、そう言われる。僕は、生まれてからずっと、人との目を合わせることを避けてきたように感じる。自分の劣等感や弱さを悟られたくなく、そのために目を合わせることを意識的に避けてきた。
参加者全員と目を合わせた時、中には怯えたような目で自分を見る人がいた。自分が怖く見えたのだろうか。当時の僕は痩せており、特に怖い印象はなかったと思う。それとも、その人は自分のことを嫌っていたのか。そういったことを考えながら、セッションを進めていった。
絵を書いて深層心理を読み解く
その後のセッションでは絵を書くことが求められた。具体的なテーマは覚えていないが、クレヨンや色鉛筆が用意され、何かを描いた。描き終わった絵を発表し、他の参加者からフィードバックを受ける形となった。みんなからの意見には、辛辣なものもあった。
「自分を隠している」
「自己逃避している」
「寂しそう」
正確にどのようなフィードバックを受けたかは覚えていないが、好意的なものではなかったように感じる。
ランチタイムには、ペアを組んで一緒に食事を取ることになった。僕は20代中盤の美容師の女性とペアになった。年上の彼女との食事に緊張を覚えた。お互いに自分のことを話し合ったが、緊張から会話がしっくりと進まなかった。沈黙を恐れ、無理に話題を振ってしまったりした。
彼女からのアドバイスは次のようだった。
「女性と話す時、沈黙を怖れて無理に話さなくてもいいよ。話したいときに話せばいい。女性も常に話を求めているわけではないから。」
彼女の言葉はまさに的を射ていた。僕が感じていた不安や恐れを、彼女は正確に把握しているかのように語ってくれた。
自分の奥深い感情に気づく
セミナーの1日目はウォーミングアップ的なセッションが中心で、準備運動のような感じだった。だが、2日目からは本格的なセッションが始まった。この日、講師のKさんは前日に参加者が描いた絵を用いてフィードバックを行い、一人ひとりの人生の問題を掘り下げていった。Kさんの誘導は巧みで、参加者が自らの心を内省する時間を持たせてくれた。その後、参加者同士でペアを組み、相手をトラウマの原因としたセッションに移った。
僕は誘導を受けて、小さい頃、親から厳しく叱られたことを思い出した。自分は泣いていたが、親も泣いており、それにも関わらず僕を許してくれなかった。非常につらい1日を思い出した。そしてある日、僕は近所の子と遊んでいて、その子に従順な態度で接していた。それを見た親が僕を「意気地なし」とののしって、それがとてもショックだった。僕は、自分を強く見せる必要があると感じ始めた。
また、小学6年生の卒業時、地元の子供会でパーティーが行われた。僕には参加したくない理由があったが、親は僕を強制的に参加させようとした。そのため、団地の階段で2時間ひたすら待ち、パーティーをスキップしようとした。その日は3月下旬で、冷たい雨が降っていた。団地の暗い階段で寂しさと悲しみに耐えた。
小学4年生の遠足時、友達にのけものに、一人で泣きながらおにぎりを食べたことなど、過去の辛い記憶が次々と蘇ってきた。これらの記憶によって、心の奥底に溜まっていた怒りが湧き上がった。それは親への怒りで、やがてその怒りは悲しみに変わった。
Kさんは僕に言った、「本当はどうしてもらいたかった?」僕は答えた。
「本当は親に受け入れてもらいたかった。それでも愛して欲しかった」と。
その後、僕は号泣した。まるで堰を切らした水が一気に流れ出るように、涙が止まらなかった。
そして、ペアとなった女性に抱擁され、その瞬間、少し癒される感じがした。
最後の最後で感謝の気持ちが
感情のカタルシス効果は素晴らしい。思い切り泣いた後、爽快な気分になった。自分が少し変わったように感じたが、まだすっきりしない部分もあった。その後のセッションで、グループで絵を描いたり、理由は不明だが、AチームとBチームに分かれてゲームを行った。最終的に、勝敗が決まらなかったため、Aチームの代表として僕と、Bチーム代表の男性とで腕相撲をすることになった。当時の僕は体重が50キロ前後で、腕も弱かった。しかし、ゲームが始まると、同じチームの人々が熱心に応援してくれ、その声が力になった。頑張って耐えたが、20秒後には相手に敗れた。
その負けが悔しかったが、その時、応援されていた声が頭によぎった。「昔、小学生の頃も、みんなに応援されていたな」と。運動音痴の僕だったが、ドッジボールで応援されたことを思い出した。「僕は拒絶されていたわけではなかった。みんなに応援されていたんだ。なのに、なぜこれまで気づかなかったのだろう。こんなに応援されていたのに、なぜ自分は気づかなかったのだろう」と思い、感謝の気持ちが湧き上がった。
確かに、自分は気づいていなかった。親も例外ではない。水泳教室に通わせてくれ、何不自由なく育ててくれた。小学生から高校生まで、塾にも通わせてくれた。大学の費用も親が全て出してくれた。みんなに支えられ、応援されていたのに、それに気づかなかった自分を少し愚かに感じる一方、皆への感謝の気持ちはとどまることがない。