大学1年、和尚の瞑想キャンプに参加

大学進学後、和尚の書籍を通じてさらに瞑想への興味が深まっていた。高校時代のブリージングセラピーの体験が引き金となり、新たな世界を求めて和尚の瞑想へと興味を向けた。

和尚の瞑想は一般的な座禅や静坐のような形式にとらわれないものだった。自由でダイナミックな動きや音を伴い、時には情熱的に踊ったり、深い感情を表現したりする。これらの瞑想の方法は、ゲシュタルト療法や催眠療法、そして1980年代に注目されるようになったトランスパーソナル心理学など、多くの心理療法のテクニックを組み込んでいた。

夏のある日、僕はワドウダさんという指導者のもと、目の癒しの瞑想キャンプに参加することになった。これは泊りがけのプログラムで、数日間、参加者たちと共に様々な瞑想の方法を体験し、心の奥底に眠る感情やトラウマに向き合う時間だった。

キャンプでは、ペアでの瞑想やグループアクティビティが行われ、参加者たちとの深いつながりや共鳴を感じることができた。また、ワドウダさんのガイダンスのもと、自分自身の内面と向き合うことで、多くの気づきや解放を得ることができた。

瞑想キャンプの内容に

まずその目をテーマにした瞑想キャンぷは、参加者全員でアイコンタクトをとることからはじまぅた、
相手の目をみて何を感じるかそれに気づいてくださいと、ワドウダさんが、話してくrた、
その後、エクセサイズとして、足ふみしながら、左手、右足、右手、左足と交互にたっちするエクセサイズを行う。
そして、ペアーになりテニスボールを後頭部に頭にあて、目の付近にペアの相手から手をあててもらうような
クラニオセイクラルセラピーなどをおこなった。
その後1日目はどんなセラピーをやぅったおbのえていない。

2日目は確か朝はダイナミック瞑想からはじまった、
これは1時間kぅらいだが泣き叫んだり、おこったりして、感情をはぅさんさせ最後は手をあげてジャンプする瞑想、
瞑想というよりはほぼ運動に近い。
汗をながしながら、自分はおこなった。

そしてダンスなどもおこなった、ワドウダさんはとてもノリもよく、音楽がかかる自分がらすすんんで踊り
本当に楽しんでいるようだった、またその姿は神々しく美しさを感じた。

心温まる出会い

和尚のセミナー初日、僕は自分の人見知りという性格と緊張が手を組み、他の参加者たちとの距離を感じていた。周囲の人々は以前のセミナーでの絆を深めてきたようで、笑顔や会話が自然に溢れていた。その中で僕は、自分の居場所や存在意義を見失っているように感じていた。

しかし、ある女性がその雰囲気を打破してくれた。彼女は年齢の割にはとても若々しく、また穏やかな雰囲気を持っていた。彼女の優しい瞳は、悩みや苦しみを抱える者に寄り添う、まさに聖母のような存在だった。

彼女は僕の緊張を見抜き、言葉と手のひらで僕の心を癒してくれた。それは、短い時間の中での深い信頼関係の形成だった。彼女の一言一言には、誰かの気持ちを敏感に察知する力が宿っていた。

彼女の優しさに触れ、僕の心はほぐれていった。そして、僕は彼女を通して、他の参加者たちとも交流を持つことができた。それぞれの参加者には、自分の物語や経験があり、僕はその中で新しい価値観や考え方を学んだ。

このセミナーでは、瞑想や心の探求が主なテーマであったが、僕にとっては、人とのつながりや信頼関係の重要性を再確認する機会となった。

心の奥深くを見抜かれる

3日目に入り、最終的な感想や思いを共有する時間が設けられた。基本的には希望者が話す形式だった。自分は話すのが得意ではないため、進んで発言するつもりはなかった。しかし、ワドウダさんと視線が交差し、突然彼から質問された。

『あなたは今、何を感じているのですか?このセミナーで何を期待していましたか?』

この突然の質問に驚いたが、直感で「今は瞑想したい気分です」と答えた。

しかしワドウダさんは追い詰めるように言った。
『本当にそれがあなたの心の声ですか?』

続けざまに彼は尋ねた。
『あなたにはガールフレンドがいますか?本当はパートナーが欲しいのではないですか?』

その質問に、僕の心臓は高鳴った。実際、僕は彼女が欲しいと思っていた。周囲の多くの友人たちは恋人を持っており、僕もこのセミナーで何らかの縁があればと期待していたのだ。

彼の視線の先には、僕の心のすべてが映し出されているようだった。そして、彼が次に投げかけた言葉は、僕にとって深く響いた。

『あなたは本当は、瞑想よりも自分を表現したいのではありませんか?』

初めてその質問を受けた時、その意味を理解することはできなかった。しかし、日が経つにつれ、その言葉が僕の心の中で響き続けた。そして、ある時、自分が真に求めているのは「自分を表現すること」だと気づいた。

生きてきた中で、多くの方からさまざまなアドバイスや助言を受けてきたが、19歳の時に受けたこの言葉は、僕の中で特別な場所を占めている。それは、自分の真の欲求を示してくれた言葉だった。そして、その言葉は今も僕の心の中に生き続けている。